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シルク加工の下着 シルフィードSilk's Undergarment Sylphide.
敏感肌のために生まれたシルク加工の下着 シルフィード
丸登靴下工業株式会社
丸登靴下工業株式会社の会社情報
丸登靴下工業株式会社の会社情報をご案内いたします。
会社名 | 丸登靴下工業株式会社 |
---|---|
所在地 | 〒376-0006 群馬県桐生市新宿3-6-8 |
電話番号 | 0277-44-3819 |
FAX | 0277-44-3244 |
maruto@ktv.ne.jp | |
設立 | 昭和8年 |
資本金 | 1,000万円 |
代表者 | 若島 嘉男 |
取引銀行 | 群馬銀行 桐生南支店・足利銀行 新宿支店・桐生信用金庫 本店 |
従業員数 | 25名 |
事業内容 | 紳士・婦人靴下、インナーウェア製造販売 |
丸登靴下工業株式会社の新聞掲載記事をご紹介
丸登靴下工業株式会社が「桐生で唯一の靴下専業」として紹介される
桐生で唯一の靴下専業
繊維製品製造 丸登靴下工業
自社工場で高級ゾーン
大量生産品は中国を活用
補正下着分野にも進出
高級靴下を生産する傍ら、新事業として体形補正機能を持つ女性向けのアンダーウエアを生産。「日本に2台しかない」という無縫製立体編み機を導入して製品化している
桐生産地で唯一の靴下専業メーカー。有名セレクトショップ向けの製品などを手掛ける。2年前からは中国の活用も始めた。2年前から靴下製造技術のノウハウを生かし、体形補正機能をもたせたタンクトップやショートパンツの生産を始めた。
東京都内で創業。先代の若島登一さんが個人で興した。工場疎開で戦火が激しくなった1944年(昭和19年)に桐生へと移った。戦後は一時中断したが、48年(同23年)ごろに再開。創業以来、一貫して靴下づくりを行っている。
靴下メーカーはかつて高崎市内に数多くあったが、今では皆無。桐生市内にも以前は5-6軒が存在したというが、現在は同社だけになった。
都内の問屋を通じた受注生産。供給先は「シップス」「ビームス」「ユナイテッドアローズ」といったセレクトショップや「パーリーゲーツ」などのブランド向けが中心。色柄や素材、形状に凝ったものを手掛ける。
「今は変わったものでないと注文が寄せられない」と若島康孝取締役営業部長。ボタンやレースを用いたり、通常は足裏の滑り止めに用いる「ラバープリント」で柄を施すなど、工夫を凝らした製品を提案している。
自社工場で高級ゾーンの製品を手掛ける一方で、大量生産品は中国・杭州の現地工場に生産委託している。04年には年間1万足に達している。
新たな柱に育てようと取り込むニット製品は、04年にドイツ製の立体編み機を導入して生産。無縫製で製品化するため、縫い目の凸凹がなく、身につけた場合に体のラインが美しくでるほか、素材の伸縮による着やせ機能をボディラインに沿って編織しているため、極端に体を締め付けず、長時間着ても疲れないという。
女性の足を引き締める機能を持たせた「圧力ソックス」の企画製造で5年前から協力関係にあるマキシマム(中村弘社長)と二人三脚で取り組んでいる。同じ桐生市内の染色加工業・アートが持つ、絹の優れた特性を他の繊維に付与する「SF加工」を施すことで付加価値を高め、「細身シルエット」の名称で昨年9月、群馬、広島両県のドラッグストアを通じて試験販売。これまでに1万5千枚を売った。
8月からは全国展開を図りたい考え。試験販売で顧客から得たアンケート結果を基に、ニーズに応じた商品開発を進めている。「桐生発の商品として、全国に販売していく」のが目標だ。
若島取締役は「新しいものに挑戦し、差別化を図っていかないと残っていけない。自社生産と中国の活用、それに新事業の三つの柱でバランスよく展開していきたい」と語っている。
プロフィル:
1933年(昭和8年)に東京都板橋区で創業。戦時中に桐生市営本町二丁目に移転。戦後、同境野町で再開し、52年(同27年)に有限会社。55年(同30年)に現在地に移転し、78年(同53年)に株式会社となった。若島嘉男社長。従業員数は15人。所在地は桐生市新宿三丁目6の8。
繊維製品製造 丸登靴下工業
自社工場で高級ゾーン
大量生産品は中国を活用
補正下着分野にも進出
高級靴下を生産する傍ら、新事業として体形補正機能を持つ女性向けのアンダーウエアを生産。「日本に2台しかない」という無縫製立体編み機を導入して製品化している
桐生産地で唯一の靴下専業メーカー。有名セレクトショップ向けの製品などを手掛ける。2年前からは中国の活用も始めた。2年前から靴下製造技術のノウハウを生かし、体形補正機能をもたせたタンクトップやショートパンツの生産を始めた。
東京都内で創業。先代の若島登一さんが個人で興した。工場疎開で戦火が激しくなった1944年(昭和19年)に桐生へと移った。戦後は一時中断したが、48年(同23年)ごろに再開。創業以来、一貫して靴下づくりを行っている。
靴下メーカーはかつて高崎市内に数多くあったが、今では皆無。桐生市内にも以前は5-6軒が存在したというが、現在は同社だけになった。
都内の問屋を通じた受注生産。供給先は「シップス」「ビームス」「ユナイテッドアローズ」といったセレクトショップや「パーリーゲーツ」などのブランド向けが中心。色柄や素材、形状に凝ったものを手掛ける。
「今は変わったものでないと注文が寄せられない」と若島康孝取締役営業部長。ボタンやレースを用いたり、通常は足裏の滑り止めに用いる「ラバープリント」で柄を施すなど、工夫を凝らした製品を提案している。
自社工場で高級ゾーンの製品を手掛ける一方で、大量生産品は中国・杭州の現地工場に生産委託している。04年には年間1万足に達している。
新たな柱に育てようと取り込むニット製品は、04年にドイツ製の立体編み機を導入して生産。無縫製で製品化するため、縫い目の凸凹がなく、身につけた場合に体のラインが美しくでるほか、素材の伸縮による着やせ機能をボディラインに沿って編織しているため、極端に体を締め付けず、長時間着ても疲れないという。
女性の足を引き締める機能を持たせた「圧力ソックス」の企画製造で5年前から協力関係にあるマキシマム(中村弘社長)と二人三脚で取り組んでいる。同じ桐生市内の染色加工業・アートが持つ、絹の優れた特性を他の繊維に付与する「SF加工」を施すことで付加価値を高め、「細身シルエット」の名称で昨年9月、群馬、広島両県のドラッグストアを通じて試験販売。これまでに1万5千枚を売った。
8月からは全国展開を図りたい考え。試験販売で顧客から得たアンケート結果を基に、ニーズに応じた商品開発を進めている。「桐生発の商品として、全国に販売していく」のが目標だ。
若島取締役は「新しいものに挑戦し、差別化を図っていかないと残っていけない。自社生産と中国の活用、それに新事業の三つの柱でバランスよく展開していきたい」と語っている。
プロフィル:
1933年(昭和8年)に東京都板橋区で創業。戦時中に桐生市営本町二丁目に移転。戦後、同境野町で再開し、52年(同27年)に有限会社。55年(同30年)に現在地に移転し、78年(同53年)に株式会社となった。若島嘉男社長。従業員数は15人。所在地は桐生市新宿三丁目6の8。